千国街道の名は、遠く中世以前にさかのぼるものである。北陸道からは、姫川沿いに遡上し、安曇野・松本平を縦貫して信州の東山道、木曽街道に通ずる道であった。
近世にあっては、松本城下から糸魚川までの百二十余キロの間を、越後では松本街道、信州では糸魚川街道と呼んだ。信州と越後を結ぶ動脈として塩・麻など海陸の物資が運ばれ、新道の整備される明治二〇年前後まで経済路線として重要な役割を果たしていた。荷物の輸送は、すべて牛馬とボッカによるものであった。
千国街道は安曇野の豊かな田園地帯を貫き、仁科三湖を巡り、北アルプスを仰ぎ、渓谷に沿うなど、稀に見る美しい風光の地を辿っているが、この地域は豪雪地帯である上に険路が多く、物資の輸送は難渋を極めたのであった。街道時代には、大名行列の往還や参詣路としての華やかさはなく、わずかに旅芸人などの通うところであったが、すすきの稲波に見え隠れする庶民の汗の道として、また民芸・自然・石仏の宝庫として、歩く人々に深い郷愁を誘う道となっている。
戦国期、敵に塩をおくるという美談で知られる、越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に、牛馬の隊列を整えて塩をおくったというのもこの街道であった。